パワハラ被害、鬱病、無職の僕が、4度目の就職活動時に重視した価値観。

就職活動

デザイナーを離職後、当時の無職・鬱状態から再就職を図るタイミングでは、通算4回目の就職活動となっていました。

その内訳は、大学時代に1回、専門学校卒業時に1回、デザイン事務所から広告制作会社への転職で1回、その後無職となってしまい、4回目の就職活動にトライする段階です。

デザイナーになるまでの自分の価値観で最上位に位置していたものは「好きな仕事に就くこと」でした。好きでもない仕事について働くという選択肢は自分の中には一切ありませんでした。

その夢叶って、グラフィックデザイナーになることはできたのですが。。。激務で薄給、その上、パワハラ上司による被害を受けていたので、当時グラフィックデザイナーであり続けるというのは困難であったと言わざるを得ません。

広告制作会社で強烈なパワハラに遭い、鬱病を発症し離職してからは、長く働き続けることのできる職場というのが自分が再度の就職活動を行うときに最も重視した項目でした。

そうすると、残業がなるべく少なく、土日基本休みの場所ということになり、いわゆるワークライフバランスを意識した職種への転職を優先順位の一番上に置くことになります。ここでは、僕の再度の就職活動を始めるまでの過程を記して行きたいと思います。



27歳で初めて、社会のどこにも所属する事のない時間を経験

デザイナーを離職後、僕は初めて社会の中から弾き出されてしまいました。

大学、デザイン学校、デザイン事務所、デザイン制作会社へは、ほぼストレートで順調に進学・就職することが出来ていたので、無職になって初めてどこの組織にも所属しない時間を過ごすことになりました。

大学受験の時に、浪人生活を味わった事のある人なら、この絶望感を共有できるのではないかと思いますが、自分は現役で大学に合格してしまったので、社会のどこにも所属していないという経験はこれが初めてのことでした。

27歳で無職。おまけに健康な状態ではなく、鬱病を患っていたので健康な方に比べてかなりハンディキャップがある状態で再起を図る必要がありました。

鬱状態というのは本当に辛く、何か新しいことを始めようとしても、心臓は苦しくなるし、ネガティブな未来しか想像できないし、眠ることすら困難な状態が、何ヶ月も終わりの見えない状態で続いて行きます。

とてもじゃないけれど、辞めてすぐに再度の就職活動をはかる力は湧いてきませんでした。



失業給付手当をハローワークに手続きしに行く力も湧いてこない状態

離職する前までデザイナーとして就職していたデザイン事務所や広告制作会社は、幸いにも社会保険に加入している会社だったので、僕は失業給付を受給できる対象者となっていました。

話は少しそれますが、当時のデザイン業界の求人を見てみると、社会保険に加入していないデザイン事務所やデザイン会社が無数にありました。

本来であれば、おそらく法律違反であると思うのですが、当時はそんなあり得ない事が横行している業界でした。

おそらく、師弟制度のような職人気質の性質を帯びている会社がまだ数多く残っているのがその一因ではないかと、自分は感じています。

当時の自分の同級生にも、いわゆる大御所と呼ばれる方のデザイン事務所に住み込みで働き、給料はほぼボランティアに近い形でしか貰えていないという人も、数多くいました。

そういった不利な条件を受け入れてでも、自分の尊敬するデザイナーやアートディレクターの元で実績や技術を習得して行きたいという方が多いという事なのだと思います。

話を元に戻しますが、鬱状態で動くことすらままならなかった僕は、お金のことよりも、心や身体に負担が掛からないよう「何もしないでいること」が最も重要な行動の一つでした。

そのため、どうしてもハローワークへ行って失業給付手続きをするための力が湧いてこず、結局何も受給の手続きする事ができず、ただただ時間だけが経過して行きました。

寝ても覚めても、常に呼吸も浅いし、心臓は苦しく、生きていいてもいいことなんて何もない。と、毎日毎日ネガティブな感情に支配されていました。

もちろん、心療内科である程度、症状を緩和する薬をもらってはいましたが、あまり症状の改善は見られませんでした。

おまけに、普段実家にいると、平日は家族以外の人と話す機会はほとんどありません。友人はみんな働いているし、無職である後ろめたさがあったので土日にも友人に会おうという気には一切なれませんでした。

鬱症状が一向によくならないため、人と関われるよう荒療治を行う

毎日毎日、無職として家で過ごしていると、ネガティブな感情がますます輪を広げて大きくなっていきます。もしかしたら、このまま一生無職で再就職することが出来ず、路頭に迷ってしまうかもしれない…と、ロクな事を考えないようになります。

気持ちばかりが焦って、このままでは行けないという思いはあるものの、いきなり就職活動を行うことは難しかったので、辞めてからしばらくの間は、ずっと実家で病状の回復に努めていました。

無理して心や身体に負担を掛けると、鬱症状は一層悪化します。

ですが、薬を飲んでも、家で安静にしていても、鬱症状は一向に回復していきません。回復していないどころか、定期的に心療内科に行くと、処方される薬の量がますます増えるという悪循環に陥ってしまいました。この時点ですでに半年ほどの月日が流れていました。

このままでは一向に病状が良くならないという思いと、やはり焦って自分の心や身体に負担のかかる事をするのは不可能だと判断し、まずは自分ができることから少しずつやっていこうと思いました。

そこで、僕は家族以外の人と接することのできる場所に行ったほうがいいかも、と考えました。そのほうが今のイヤな気分も紛れるかもしれないし。

僕は残っていた自分のわずかな貯金で、資格取得スクールで就職活動のための筆記試験対策コースに通うことにしました。いわゆるLECやTAC、大原などの大手資格取得スクールです。

DVDやオンラインでの受講もできましたが、敢えて一緒に就職を目指す仲間ができる教室受講で、通学しながら授業を生で聞けるコースを選択しました。

心療内科&資格取得スクールに通いながら、鬱症状の回復に努めた時間

すでに申し込みもして、授業料も払ってしまっていたのですが、ほかに人と接することのできる方法が当時の僕にはありませんでした。

アルバイトという選択肢もあったのですが、アルバイトになってしまうと、どうしても仕事としてある程度の責任が生じてしまうので、心や身体への負担を考えると、まだ実行するには早い段階でした。

ともかく、まずは家から出る練習です。電車やバスに乗って、街へ出る練習をするところからスタートしました。

今まで当たり前のように出来ていたことが出来なくなる。当時の僕の鬱症状は、日常生活を営むのに支障が出るほどのレベルだったので、まずは簡単な日常生活を取り戻す事を目標にしました。

心療内科に診察に行くのも一苦労。スクールに通うのも一苦労。といった状態だったので、毎日実行することはなかなか難しかったのですが、幸いなことに通院も数週間に1度、スクールも1週間のうちで数日間通えば良いというカリキュラムになっていました。

ところが。そんな生活が、このあと何年も続くことになるとは、この時の僕は予想もしていませんでした。

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それからの生活

相変わらず鬱症状はおさまりませんでしたが、病状自体は日に日に安定していったような気がしていました。

最初の頃は、その日によって気分のムラが大きく、ひどい時には丸一日朝から次の朝まで、トイレと少しのご飯を食べる時以外は、布団から出ることが出来ませんでした。

スクールに通うようになってからは、太陽の光も少しずつ浴びるようになり、病状が良くなっていった気がします。

こうして、僕はようやく日常生活を少しずつ送れるようになり、再度の就職活動に向けて準備をおこなって行くことになります。

主にはワークライフバランスを重視している企業や業界に絞って、再度の転職活動を再開することになりました。

その後紆余曲折あり、足掛け3年ほど掛けてようやく30歳になるタイミングで再就職を果たすことになるのですが…。その間の様々な挫折エピソードもこのブログで紹介していけたら、と思います。

この記事を書いた人
めびうすさん

50人前後の組織の中で奮闘するひとり事務員。元広告デザイナー。過酷なデザインの世界から、事務の世界へ転職。
自分のようにデザインの道から逸れてしまっても、楽しく生きて行くための道をこのブログで綴っていきます。

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めびうすさんの、人生放浪記。

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