今回は僕がグラフィックデザイナーを辞めようと決断し、実際に辞めた時のお話をしたいと思います。
デザインの仕事を続けていると、どんなに好きでも辞めたくなる瞬間が一度や二度誰しも訪れることがあるのではないでしょうか?
思っていた内容と違う、給料が低い、土日も休めない、上司と馬が合わない、自分のデザイン能力に限界を感じる等、理由は様々だと思います。
僕の場合は、広告制作会社の上司からの強烈なパワハラが大きな原因の一つでした。
思い出すのは少しツライですが、僕みたいな被害を受ける方が少しでも減ってくれれば・・・と思い、書くことにしました。
デザイン学校卒業後、小さなデザイン事務所へ就職。
デザイン学校を卒業後、僕は小さなデザイン事務所に新卒扱いで入社しました。
(実際には4年生の一般大学を卒業してからデザイン学校へ通っていたので、年齢的には第二新卒扱いだったかも知れませんが。)
最初のデザイン事務所では、上司(年配女性)、同僚デザイナー(年下女性)、自分(男)、の合計3人だけの仕事場でした。上司であるアートディレクターの方は業界ではかなり有名な方だったのと、その上司の裁量で仕事量が決まります。
僕はそのデザイン事務所で、学校を卒業してから初めて仕事としてデザイン業務に携わることになります。
(ちなみにパワハラに遭ったのはこのデザイン事務所ではなく、次に転職した広告制作プロダクションです)
同僚の年下女性デザイナーも年齢こそ違えど、同期入社ということで上司であるアートディレクターの方が先輩デザイナーを兼務していたのが実態です。
入社して間も無くの間は、キャンペーン広告が続いていたのもあり、ある程度の仕事量がありました。
実際には、忙しすぎるというわけでもなく、暇すぎるというわけでもなく、入社したばかりの自分にとってはちょうど良い感じの仕事量だったのではないかと思います。
具体的なキャンペーンとしては、ミネラルウォーターの広告キャンペーンの一環として電車の中吊り広告を作成したり、パッケージのデザインを手がけたり、ロゴマークを考えたりと、比較的幅広くデザイン業務を経験することができました。
デザイン事務所内には、有名なアートディレクターや写真家の方の書籍が数多く置いてあり、仕事の合間にそれらを読んで、アイデア出しの参考にしたりしていました。
そんな日々を数ヶ月ほど過ごしていると、ある時、パタッと仕事の依頼が止まってしまいました。
デザイン事務所には営業専門の方はいなかったので、仕事の営業をする人自体がいません。
一方で、上司である女性アートディレクターの方は、「紹介などの依頼された仕事以外、私はやらない。自ら営業を掛けることはなるべくやらない」というスタンスでした。
ここで僕は一つの重大な決断をすることになります。
「このまま、このデザイン事務所にい続けて良いのだろうか??」・・・と。
一般大学を卒業してから3年制のデザイン学校に通っていたため、デザイン専門学校や美大をストレートで卒業した同級生とは、入社した時点で既に4年以上のハンディギャップがあります。
このまま仕事が来ないと、ただただ時間だけが過ぎていき、デザインの実務経験を積むことができないということを肌で感じていました。
アートディレクターの方からも
「もう一人の女性同僚デザイナーは貴方よりも若く、時間的にはゆっくり経験を積んでも大丈夫だけど。貴方は本当にこのまま私のデザイン事務所に居ていいの??」
というお言葉。当時は「確かに・・・」と、安易に納得してしまいました。
今考えると、仕事がほとんど無いということは、たとえ少人数であれ、「二人分の給与を支払うことは難しい」という状況だったのかも知れません。
もしかしたら上司の本音は、僕ではなく、感性が鋭くて若い女性デザイナーの方を残したい、ということだったかも知れません。
法律上やめさせるということは出来ないはずなので、自らの意思で辞める決断をするようコントロールされていたのかもしれません。まあ、実際のところは分かりませんが。
ともかく。僕は転職するという決断を下したのです。
小さなデザイン事務所から、広告制作プロダクションへの転職
デザイン事務所の上司であるアートディレクターの方にも事前にお伝えしていたので、転職活動は比較的スムーズに進んでいきました。
働きながらの活動だったので、最後にデザイン事務所を去る時は、結構時間的にも融通を効かせてくれました。
いくつかあった候補のデザイン会社やデザイン制作プロダクションへ面接に行く事になり、お偉い方との面接となりました。
そのうちの一つが、僕が後に入社する事になった広告制作プロダクションです。
規模としては、全社員50人前後の職場で、デザイナーだけでなく、カメラマンやコピーライター、営業、プロデューサー、レタッチャー、など、専門職として働いている方が数多くいました。
面接自体はかなりの好感触でした。デザイン事務所で手掛けた仕事だけでなく、自主的に制作した作品も織り交ぜて、ポートフォリオ(作品集)を持参して面接に臨みました。
どの作品も好感触だったのと、所属していたデザイン事務所のアートディレクターの方が業界内ではかなり有名だったので、その後ろ盾があったのもよかったみたいです。
それが、後々になって仇となる訳ですが・・・。
ちなみにその制作プロダクションの主な仕事内容は、いわゆる大手広告代理店からの下請けグラフィックデザイン業務です。
大手広告代理店である電●からの仕事が9割ほどを占めていたのと、ちょくちょく直接取引をしていた案件があった気がします。
その後、無事に内定を獲得し、僕はグラフィックデザイナーとして、その制作プロダクションで働く事になりました。
広告制作プロダクションで、最初に配属されたデザインチーム
僕が最初に配属されたチームは、女性アートディレクター、女性先輩デザイナー、僕。という3人のチームでした。
デザイン事務所でも女性アートディレクターと女性デザイナーと組んで仕事をしていたことを面接で話したような気がするので、配属時に同じ環境に近いチームで働けるように上の人が働きかけてくれたのかもしれません。
と。意気揚々と仕事をしようと思った矢先。トラブルが続出するわするわ、の連続でした。
少し作業をするとパソコンは止まるし、印刷ボタンを押してもポスター印刷のラフがプリンタから出て来ず、失敗の連続が続く日々を送っていました。
しまいには、自分の使用していたパソコンが遂にある日突然止まっていまい、作業そのものが出来なくってしまいました。
どうやら、僕が強制終了の操作をしてしまったことが原因だったようです。
それほど、Macのマシンが安定していない環境でした。同じチームの先輩女性デザイナーがその時は対処してくださり、なんとかパソコン自体は動くようになったのですが。
自分ができると思っていたことが全然出来なかったり、他の人に迷惑をかけたりと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
その後も勝手が違う職場で、小さなミスやトラブルが頻発しました。当たり前といえば当たり前ですが、デザイン事務所にいた時には無かった仕事のオンパレードです。
一つ一つ、覚えながら作業を進めていくものの、成功する確率と失敗する確率でいえば、失敗する確率の方が多い日々でした。転職扱いなので、もちろん研修制度などありません。
さらに仕事量もデザイン事務所にいた時とは比べれものにならない量で、ほぼ毎日終電 or タクシーで夜明け前に帰り、自宅で少しだけ寝てから出社するという日々が何週間も続いていました。
すると今度は寝不足と体力低下のため、正常な判断ができなくなり、ミスや失敗が増えるという悪循環のスパイラルに陥ってしまいました。
そして、組んでいた女性アートディレクターの上司から、ほぼ毎日、叱責を超えた強烈なパワハラを受けるようになってしまったのです。
上司から受けたパワハラの数々
入社して間も無く、転職同期で入った同僚が次々と辞めていきました。あまりにも忙しく、徹夜残業休日出勤が常態化しており、数日間で見切りをつけて辞めた人が数多くいました。
自分も最初の数週間で「ここはやばいかも・・・」と感じながらも、転職したばかりだったのと、デザイナーとしての経験を最低でも何年かは現場で積みたい、という思いから粘って続けていました。
ですが、思うように自分の仕事やデザイン業務を行うことができず、自分の力を発揮することができない日々が続きました。
そして、直属の女性上司から毎日のように罵倒が飛んでくるようになります。
「お前はなんでこんなことができないんだ!?」
「私の仕事の邪魔をするな」
「●ねよ!」
などなど。挨拶を無視されるのは当然だし、フロア中に聞こえるよう罵倒の嵐が飛んでくるのも日常茶飯事。毎日毎日こんなことが繰り返され、こちらの思考力も判断力も落ちていきました。
そしてこの状態を見かねた取締役の方が「もしかしたらチームの相性が良くないのかもしれない」と配慮してくださり、別の部署のチームに異動して貰える事になりました。
その時は確か、男性アートディレクター、男性デザイナー、自分、といったチームだったと思います。他に同じフロアに役職の違うプロデューサーや営業の方が居ました。
ともかく、心機一転して、新しいチームで頑張ろう!と気合いを入れ直しました。
チームの雰囲気は比較的良くなりましたが、仕事量は相変わらず物凄い量で、とてもじゃないけれど定時に終わる量ではありませんでした。
挙げ句の果てに、僕が異動した直後、確か真夜中の出来事だったと思いますが。
別のチームの担当をしている代理店の担当者(おそらく●通社員?)がその制作チームのすぐ横に張り付いており、椅子の上に踏ん反り返って座っているのを目撃してしまいました。
「お前らまだ終わんない訳!?明日の朝イチまでだからな!!」
なんか、メチャクチャキレてる・・・怖っ。と思ったのを覚えています。
ともかく、フロアの雰囲気はここも最低最悪でした。
こんな悲惨な状態でいいデザインなんて出来るわけ無い・・・と思いながら、毎日怒られないように仕事をする日々が続きました。
そして、チーム一丸となって大きなプロジェクト案件を進め、ようやくひと段落。今回はすごく自分でも頑張ったし、良い提案もできたし、本当によかった!!と思って、ホッとしていました。
これでまた、しばらくお仕事を続けていけそうだ。と思い、家路に帰ろうとした矢先。
フロアを取り仕切っていた、プロジェクトリーダーだった上司の方に「ちょっと話したいことがある」と呼び出されました。
「?・・・なんだろ?今回は比較的仕事もスムーズに進んでいってたし、自分でもチームに貢献できていたし、何か労いの言葉でも掛けてもらえるかも??」
と。ちょっとだけ、期待して応接室スペースで、男性上司と1対1での話し合いが始まりました。
プロジェクトリーダーだった男性上司からの衝撃の一言
話し合いの冒頭、僕は初っ端から出鼻をくじかれました。
上司:「お前、今回のプロジェクトで自分がチームに貢献できたと思っているのか??」
衝撃でした。。。徹夜残業休日出勤も厭わず、ご飯も食べる時間も惜しんで、ひたすら朝から晩まで仕事をしていたにも関わらず、最後に掛けられた言葉が「お前は期待ハズレ」の一言。
この瞬間、僕の中で・・・プツンッ、と糸が切れる音がしました。
心臓も苦しくなり、呼吸をするのも困難な状態になり、そのあと何かその上司が色々言っていた気がしますが、全く頭に入って来ませんでした。
「もう、辞めよう・・・」
これが僕がグラフィックデザイナーとして勤務した最後の日になりました。ただ、応援してくれた両親にだけは連絡しなくちゃと思い、思い切って実家に電話したところ
「辞めたかったら辞めてもいいんだよ。他にいくらでも仕事はあるんだから」
と言ってくれたのが救いでした。
とりあえずお世話になった別の直属の上司にも声をかけなくちゃ、と思い、報告に行ったところ
直属の上司:「辞めるならちゃんと1ヶ月以上前に言ってくれる?」
と、それだけでした。
そういえば、自分が体調悪くて病院に行ったという話をしたときも、この上司は「お前、病院なんか行く暇あったんか?」と言われたことを思い出しました。
「ああ、なるほど。こういう体質の会社なのね」と思い、もう何もかもが、どうでも良くなった瞬間でした。
グラフィックデザイナーを辞めた、その後
駆け出しのデザイナーだった僕のお給料は薄給そのものでした。辞めた後は完全に無職となり、貯金も徐々に底を尽き始めて来ました。
また、毎日のように上司から浴びせられた罵詈雑言、罵倒、叱責に加えて、長時間労働、睡眠不足、疲労、深夜残業、休日出勤など、過酷な労働条件が重なり、重度の鬱病を発症しており、動く力も残っていませんでした。
再度の就職活動を行うことも出来ず、一人暮らしをしていた賃貸を引き払うのにも父親に協力してもらい、ようやく荷物を整え引越しができる状態になったようです。
思考力も判断力も大幅に低下していたため、その時の記憶が全く自分にはありません。
実家に出戻りすることになった僕は、しばらくの間休養することになりました。
この時、何よりも嬉しかったのが、
でした。
以上が僕がグラフィックデザイナーを辞めることになった経緯となります。これって、デザイン業界では当たり前のことだったのでしょうか?それとも特別なことだったのでしょうか?
今でも時々、過去のことを思い出しますが、原因はおそらく複合的で、上司からのパワハラだけでなく、自分の経験の無さ、己の未熟さ、デザイン能力の低さ、長時間労働、体力、忍耐力の無さも、一因だったのではないかと思います。
もちろん会社や人との相性もあったと思います。
ですが、鬱病を克服し、元気になった今も、自分はデザイン業界に戻ってまた改めて雇われのグラフィックデザイナーとして働きたいかというと、「No」という回答になります。
デザインそのものや、デザインの作業自体は楽しいと感じることが出来るようになって分かったことは、「自分が好きではない働き方をしていたこと」自体が間違いだった、ということです。
デザイナーを辞めてから10年以上の月日が流れ、デザイン業界の様子も一変したように感じますが、大元の業界構造や体質自体はあまり変わっていないような気がします。
そして、僕が広告業界から身を引いてから数年後、●通に勤務していた女性新入社員過労死事件が起こったのです。その●通の下請けデザイン会社の実態は、さらに酷いものだったということです。
もちろん、たまたま僕が就職した会社がそうであっただけで、他のデザイン会社はもっと働きやすい職場もたくさんあると思います。
ただ、数多くあるデザイン会社の中にはいわゆる「やりがい搾取」の状態で、人を使い捨てにするような場所もあるということです。
今、デザイン業界にいらっしゃる方、デザイナーやアートディレクターとして仕事を何年、何十年と続けている方を僕はとても尊敬しています。
もし自分と同じ境遇に遭ったとしても逆境を乗り越えて踏ん張れる方が、デザイナーで居続けることができるのだと思います。
一方で、無理をして心や身体を壊してしまう方がいるのも事実です。その場合は、僕の体験から「辞めてもいいんだよ」と声を大にして伝えてたいです。
もし、デザイナーを辞めてしまうことになっても、世の中には自分に向いている仕事がまだまだ沢山あります。自分も畑違いの事務員の仕事を始めて、10年以上の月日が流れました。
デザイン業界にいた時は常に自分を否定されていたので、「自分は社会不適合者なのでは無いだろうか?」と本気で思っていました。(新人だったということもありますが・・・)
ですが、今は色々は人が自分のことを評価してくれて自己肯定感も取り戻してきた気がします。
辞めるという決断はもの凄いエネルギーと勇気を必要としますが、心や身体を壊してしまってからでは元も子もありません。
このブログでは、自分と同じように悩み、もがき苦しんでいる方の道しるべになればと思い、僕がたどってきた道を伝えていきたいと思いっています。
行き詰ったり、迷ったりしたら、是非またこのブログを訪れてくれたら幸いです。
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